2015年4月24日金曜日

金地金は支払手段ではなく、モノである

金地金には代用通貨としての側面がありますが、税法上はモノとして扱われています。

ですから国内取引においては、課税資産として購入時には消費税を支払わなければなりません。

また、海外からの輸入時には課税貨物として税関に消費税を支払わなければなりません。


海外から携帯して持ち込む場合には、金地金1キログラムまでは税関申告不要で消費税が掛からないという説がありますが、これはまったくの誤解となります。


誤解の原因は次のことになります。

「支払手段等の携帯輸出・輸入申告書」
100万円相当額を超える現金・小切手等を携帯して、外国に持ち出す又は外国から持ち込む場合には、税関に「支払手段等の携帯輸出・輸入申告書」の提出が必要です。

申告対象
◎ 次のものの合計額が100万円相当額を超える場合
・ 現金(本邦通貨、外国通貨)
・ 小切手
・ トラベラーズ・チェック、旅行小切手
・ 約束手形
・ 有価証券(株券、国債等)
◎ 金の地金(純度90%以上)の重量が1kgを超える場合



これを見ると、1キログラムを越える金地金は申告しなければならないとあるので1キログラムまでならば申告不要と解釈しても無理は有りません。

さらに、金地金は支払手段(現金や小切手など)と考えてしまい、輸入時においてはモノ扱いされないから消費税が掛からないと解釈されてもおかしくはないでしょう。

しかしながら、よくよく見ると「支払手段の」ではなく「支払手段等の」 となっており、金地金は支払手段と並列されているので「等」に分類されると読み取れます。
そして、等ということは支払手段ではないので、やはり金地金はモノ扱いということになるのです。


モノ扱いということは、他の携帯輸入品(課税貨物)と同じく20万円を越える場合には、携帯品として「携帯品・別送品申告書」において申告をして消費税の支払いが必要となります。


非常にややこしいことなのですが、金地金1キログラムを携帯して輸入する際には支払手段等としての税関申告は不要だが、携帯品としての申告は必要で消費税の納税義務もあるということです


以上のように、税関が出している 「支払手段等の携帯輸出・輸入申告書の記入例」を見ると、金地金1キログラムまでは持ち運べば申告不要なので消費税が不要と誤解し、悪意がないのに密輸になってしまう恐れがあります。

税関には、こういう誤解が生まれないような表現表示を望みます。

2015年4月23日木曜日

為替レートと物価の関係

 日本は輸入大国で、原材料を含めるとほぼすべての生活を輸入に頼っています。
従って、円高になればデフレ(物価安)となり、円安になればインフレ(物価高)となります。

では、為替レートと物価の関係が完全に比例するのでしょうか?
これを調べたところ、大変興味深いことになりました。

結果からいいますと、約10%円高が進行すると物価は約5%下がっています。また、約10%円安が進行すると物価は約5%上がります。

為替レートの変動量に対して、物価はその半分の変動量になる結果となりました。

何故なのでしょうか?
おそらく、企業や商店が物価の変動量を吸収しているのではと思われます。

円高になってもその分全部は価格を下げずに利益を商店や企業が留保する。

よく、円高還元セールとかいうのがあったが、こんなセール名があること自体が普段から円高差益を還元していない証拠である。

また、円安になったからと言ってその仕入れコストを全部価格に転嫁すると売れなくなるので、半分は商店や企業が泣いているのだろう。

こう考えると、日本の小売業などは円高のほうが儲かるのでしょう。

租税公平主義

 租税法律主義と並んで税法の精神の根幹にあるのが、租税公平主義の考え方です。

租税法律主義が法律に則った厳格な課税を目的とする考えなのに対して、租税公平主義はその名の通り公平性を重視しています。


以前、節税と租税回避行為の違いを説明しましたが、この区別はそもそも租税公平主義というものを論拠としているのです。

節税とは、一般に知られている適法な会計処理によって所得を圧縮して納税を少なくする事です。

一方、租税回避行為とは、1つ1つの会計処理は適法であるが、それらを「一般的に知られていない奇抜な方法で」組み合わせることなどにより、所得を圧縮して納税を少なくする事です。

租税回避行為を認めると、そんな方法を知らない人との公平性を保てない。
だから、例え1つ1つの会計処理は適法であるが否認する。
というような租税公平主義の観点から、税務調査などにおいては否認されてきたのです。


確かに、租税公平主義の観点から租税回避行為を否認することは適正かもしれません。
しかしながら、租税法律主義の観点からは租税回避行為は適法となります。

前述した武富士裁判のように、法廷で争えばほとんどの租税回避行為は適法とされるでしょう。


また、ネット社会となった現在において、どれだけ奇抜なアイデアも直ちに他人に知られてしまう現実があります。
この情報化社会においては、知らないことが悪いとされるので、租税回避行為を租税公平主義の観点から否認すること自体が合理性を欠くのかもしれません。



こういうことを書くと、私が租税回避行為を推奨したりしていると思われそうだが、それはまったく的外れです。


私自身は、納税を沢山する派であり、そういうことはしない主義です。


税金は所得100に対して40までであり、四千万円納税すれば堂々と表に出せるお金を六千万円残せるのです
1億円残したければ、1億円稼いで隠すのではなく、1億7千万円稼いで七千万円納税すればいいのです。
この考えでやって来たから、銀行融資を受けられるし、隠しているものがないから堂々と生きられるのだと思います。

2015年4月17日金曜日

租税法律主義②

租税法律主義と言う考え方を理解する上で重要な武富士事件を振り返っておきたい。

概要は次のようなものです。


武富士の会長が香港在住の長男(非居住者)に外国会社の株式(国外財産)約1,600億円分を贈与しました。


当時の税法の規定においては、「非居住者に対する国外財産の贈与については贈与税を課さない」となっていましたので、当然非課税として申告していませんでした。

これに対して税務当局は、実態のない香港移住を用いた贈与税の租税回避スキームだ!と激怒しました。

納税義務者の武富士長男は、修正申告に応じるはずはなく、税務当局は約1,300億円を追徴課税する更正処分を行いましたが、これに武富士側はまっこうから異を唱えて税務裁判となりました。


最高裁まで争われたこの税務裁判において最高裁は、実に法治国家として適正な判決を下し、その判決文の最後において租税法律主義の在り方を明確に示しました。


要約すると以下のようになります。


「一般的な法感情の観点から結論だけをみる限りでは,違和感も生じないではない。
しかし,そうであるからといって,個別否認規定がないにもかかわらず,この租税回避スキームを否認することには,やはり大きな困難を覚えざるを得ない。」

「納税は国民に義務を課するものであるところからして,この租税法律主義の下で課税要件は明確なものでなければならず,これを規定する条文は厳格な解釈が要求されるのである。」

明確な根拠が認められないのに,安易に拡張解釈,類推解釈,権利濫用法理の適用などの特別の法解釈や特別の事実認定を行って,租税回避の否認をして課税することは許されないというべきである。そして,厳格な法条の解釈が求められる以上,解釈論にはおのずから限界があり,法解釈によっては不当な結論が不可避であるならば,立法によって解決を図るのが筋であって(現に,その後,平成12年の租税特別措置法の改正によって立法で決着が付けられた。),裁判所としては,立法の領域にまで踏み込むことはできない。

後年の新たな立法を遡及して適用して不利な義務を課すことも許されない。結局,租税法律主義という憲法上の要請の下,法廷意見の結論は,一般的な法感情の観点からは少なからざる違和感も生じないではないけれども,やむを得ないところである。」


この確定判決がもたらしたものは非常に大きいものとなりました。

課税するには法根拠の存在が不可欠であり、拡大解釈は認められないということから、現在の税法上適法なものを否認することは出来なくなったのです。

また、法に穴があるならば法改正すればいいのだが、その新しい法律を過去に遡って適用することは許されないとも明確に述べられています。

さらに、一旦課税した約1300億円を返すにあたり、その間の利子(なんと、約400億円!)を国民の血税で支払うことになったことに対して、税務当局への大きな批判が巻き起こったことは言うまでもありません。


この判決以後、税法の要件を満たしていないものに感情的な課税をすることがなく、租税法律主義の精神が守られるようになったことは、法治国家として大きな前進だと思います。


なお、判決文にもありますように、非居住者に対する国外財産の贈与に対しては、その後の税法改正によって現在は課税になっています。

2015年4月16日木曜日

租税法律主義

消費税法という科目を勉強していてつくづく思うことがあります。

免税事業者制度や簡易課税制度があるために、これを何とか工夫して使用することで課税を逃れてきた事業者と、その穴を塞ぐために改正に改正を重ねられたいたちごっこの歴史のせいで、非常に複雑化しています。

もう、免税事業者制度や簡易課税事業者制度自体を無くせばすっきりするのにと感じているのは私だけではないでしょう。

また、日本は法治国家なので法の範疇で様々な工夫をすることが許されています。
それは、節税策においてもです。

従って、現在の税法において課税できないことに新たに課税するには法改正が必要なのです。
これが、法律に基づいて課税するという租税法律主義と呼ばれる考え方の基本です。

そして、法改正がされた場合に適用されるのは、あくまでも法の施行時から未来の期間であり、過去に遡って適用することは不可能なのです。

法が遡って適用されたらそこはもはや法治国家とは言えません。
例えば、後部座席シートベルト着用が義務付けられる前にシートベルトをしていなかったとして、違反を認定されたらどうでしょうか?
そんな国にはもはや住めないですね。

属地主義と属人主義②

日本の税制は、属地主義から属人主義に向かうだろうと予測されています。

属人主義にすると、日本国籍である限りは、非居住者になっても日本で課税できることになるからでしょう。
こうすることで、富裕層が香港・シンガポールなどに移住する意味を無くそうとして行くということです。

日本の富裕層は、そもそもこの日本のおかげで富裕層になれたのですから、日本に納税義務が続くというこの方向性には私は賛成です。

しかしながら、現在は属地主義です。
ですから、将来属人主義の税制に変わったとしても、その時からその制度は適用されるのであり、遡ることは決してないのです。

属地主義と属人主義

 日本の法律は、基本的に属地主義の立場を取っています。

刑法などは、原則として国内犯を処罰するとしています。
日本国内で行われた犯罪について法を適用するというのが属地主義の考え方です。


一方、刑法などでは日本人が国外で犯した罪にも刑罰を適用する「国外犯処罰規定」というものが例外的に定められています。
これは、属人主義の考え方の適用です。


しかしながら、あくまでも属人主義は例外的な考え方であり、原則は属地主義なのです。


では、税法はどうでしょうか。
税法は、日本に限らずほとんどの国が完全に属地主義の立場を取っています


属人主義は、納税の基準を人に求める考え方で、日本以外に居住していても、国籍が日本であれば日本に納税となります。


一方、属地主義は、納税の基準を居住している場所に求める考え方で、日本国籍であっても日本以外に居住していれば(非居住者という)そこに納税となります。
(ただし、非居住者が日本で得た所得には源泉所得税20%は掛かります)


国籍ではなくその居住地(法人の場合には本店又は主たる事務所の所在地)が何処にあるかが重要となります。

記憶に新しい武富士の相続騒動も、相続人が非居住者ゆえに起きた騒動でした。

また、海外にある外国法人が得た所得からはその本店所在地のある国に納税されるというのが原則となります。

2015年4月13日月曜日

やはり不起訴、あとは国税の出番か

みずほ銀行の行員が行った巨額詐欺事件。
前にも書いたが、やはり予想通りに展開しているようだ。

元行員(事件当時はもちろん現役の行員)は起訴されたが、一緒に逮捕された二人の勧誘役は処分保留で釈放されました。

やはり、詐欺と言うのは立証が難しいようです。
最初からだます意図でないと詐欺罪は成立しないのです。
自分たちも信じ込んでいたという主張を覆すことは困難だと検察は判断したのでしょう。


確かに投資詐欺は、ほんの一握りの確信犯(ワル)に信じ込んだアホが群がって広がることが多い。
そして、アホたちも大抵は自分のお金もやられているので、加害者兼被害者という側面もあるのでしょう。


しかしながら、こういう投資詐欺に関わった人間たちはほぼすべての人が「脱税」という罪を犯しているのです。

勧誘役が行員から得た手数料はもちろん、被害者が受け取っていた配当もおそらくは収入(又は収益)として誰一人申告して納税していないでしょう。

中には、億単位の手数料を得た勧誘役もいるようです。

詐欺はだます意図の立証が困難だが、脱税はそうではないので、国税庁が検察と組んで立件してくれることを我々納税者は期待しています。

2015年4月3日金曜日

預金封鎖②


 今回は、前回と逆のパターンを考えてみましょう。

アルゼンチンの人が、日本の金融機関に口座を持っていた場合です。


アルゼンチンが財政破綻して預金封鎖が発令されたとき、この日本にあるアルゼンチンの人の口座はどうなりますか?

どうもなりませんよね。

そして、これは
「たとえ、アルゼンチン政府がこの口座の存在を知っていたとしても」
同じなのです。


日本の金融機関が、破綻したアルゼンチン政府の要請に対してこの人の口座だけを封鎖すると思いますか?

前回書いたように、預金封鎖は金融機関全体に行われるのであって、口座単位でやるものではないのです。


海外の金融機関に預けたお金は、日本が万が一財政破綻して預金封鎖が発令されたとしても、封鎖されることはありません。
その金融機関が日本の国家権力外にあるからです。

そして、その効力は例えその存在を日本に知られていても損なわれないのです。

このことを理解していれば、海外にある口座やお金を隠すことが、如何に馬鹿馬鹿しいことであることが分かるでしょう。

そもそも、海外にある時価5千万円以上の資産はその存在を申告する義務があり、隠すこと自体が危ないことなのです。

預金封鎖

最近、テレビでも預金封鎖が取り上げられているようです。

国家の財政が破綻した場合に、国民の資産で国家の損失を穴埋めするためにあらゆる金融機関から資産を出せなくするのが預金封鎖です。
実際に我が国では戦後間もなく実施され、90%が没収されたようです。

預金封鎖というと円預金だけが封鎖されるように思いますが、封鎖されるのは金融機関のものすべてです。
銀行の円預金・外貨預金・投資信託・貸金庫の中のもの、証券会社の株式・債券・投資信託、保険会社の保険・年金など。

また、預金封鎖は国家破産した国全体で行われ、金融機関ごとに全部が封鎖されます。
そこにある外国人の口座も一緒に封鎖されるのです。

このように、預金封鎖は口座単位で行われるのではなく、金融機関単位で行われるのです。


では、あなたがアルゼンチンの金融機関に資産を預けていた場合を考えてみましょう。

もし、アルゼンチンが財政破綻して預金封鎖が発令されれば、あなたの口座も封鎖されて没収の憂き目にあうことでしょう。
アルゼンチン国民以外の口座だから封鎖されないなどどということはあり得ません。


もし逆に、日本が財政破綻して預金封鎖が発令されたときはどうなるのでしょうか?
アルゼンチンの金融機関が日本政府の依頼を受けてあなたの口座だけを封鎖するなどということはあり得ないでしょう。