租税法律主義と並んで税法の精神の根幹にあるのが、
租税公平主義の考え方です。
租税法律主義が法律に則った厳格な課税を目的とする考えなのに対
して、租税公平主義はその名の通り公平性を重視しています。
以前、節税と租税回避行為の違いを説明しましたが、
この区別はそもそも租税公平主義というものを論拠としているので
す。
節税とは、
一般に知られている適法な会計処理によって所得を圧縮して納税を
少なくする事です。
一方、租税回避行為とは、1つ1つの会計処理は適法であるが、
それらを「一般的に知られていない奇抜な方法で」
組み合わせることなどにより、
所得を圧縮して納税を少なくする事です。
租税回避行為を認めると、
そんな方法を知らない人との公平性を保てない。
だから、例え1つ1つの会計処理は適法であるが否認する。
というような租税公平主義の観点から、
税務調査などにおいては否認されてきたのです。
確かに、
租税公平主義の観点から租税回避行為を否認することは適正かもし
れません。
しかしながら、
租税法律主義の観点からは租税回避行為は適法となります。
前述した武富士裁判のように、
法廷で争えばほとんどの租税回避行為は適法とされるでしょう。
また、ネット社会となった現在において、
どれだけ奇抜なアイデアも直ちに他人に知られてしまう現実があり
ます。
この情報化社会においては、知らないことが悪いとされるので、
租税回避行為を租税公平主義の観点から否認すること自体が合理性
を欠くのかもしれません。
こういうことを書くと、
私が租税回避行為を推奨したりしていると思われそうだが、
それはまったく的外れです。
私自身は、納税を沢山する派であり、
そういうことはしない主義です。
税金は所得100に対して40までであり、
四千万円納税すれば堂々と表に出せるお金を六千万円残せるのです
。
1億円残したければ、1億円稼いで隠すのではなく、
1億7千万円稼いで七千万円納税すればいいのです。
この考えでやって来たから、銀行融資を受けられるし、
隠しているものがないから堂々と生きられるのだと思います。
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